もなると、メンバーはいつも同じ、歳の頃も同じ、毎回その人間達 が舞台に出てくる設定を考えなければならない。しかも、興味と欲 求を自分の中で持てる設定を。しかも劇団員には今までにない役を。 至難のワザである。越えなければならないハードルが外で書くもの より実は多い。なるほど、野球のピッチャーである。必ず消耗する。 かけた労力、費やした時間、そんなことが評価に上乗せされること はない。たった二時間で批評される。日本の演劇は作家を大事にし ないとも言われている。野球選手の肩同様、作家自体が消耗品であ る。書けなくなれば別の誰かを器用するだけだ。そこで終わり。そ れでも書く。本当に自分が観たいもの、観せたいものは何か。奥の 奥まで潜っていく。迷路を彷徨い、寝ているときも寝ていない。メ ンバーだってそのことを本当には理解していない。僕が枯渇する危 険性を本当の意味では感じていない。何故なら枯渇した僕の姿を一 度も見ていないからだ。それは仕方ない。彼らは作家ではなく役者 だからだ。僕がその道を選んだわけだから。だから作家は自らをそ の状況に置きながら、自らを広げていかなければならない。精神力 を鍛える必要もある。嫌いな食べ物だって食べてみる。好きじゃな い作品も読んでみる。違う角度で見てみる。向かってみる。そうや って違う自分に出会ってみる。少しずつ違う景色が見えてくる。そ ういうことをして世界を広げていくようにする。自分の肩を強靭に、 しなやかにするように務める。僕は役者の愚痴が嫌いなタイプであ る。非難したり、いい気になっている役者も好きではない。それは 相対的に自分を見ているからだ。周りと自分を照合するからだ。自
第十二話「年二回公演をやるっちゅうことはね」蓬莱竜太