分と対峙していない。他人を分析している。そういう人はいつも同
じことを言っている。それが自分の感性や感覚だと言わんばかりに。
僕から言わせれば、新しい何かに出会うことを怠っている人間に見
える。自分を信じている、と言えば聞こえはいいが、それは全てを
やりつくしたり、知りつくしたりした人間だけが言える言葉だ。そ
して、そんな人はいない。つまりは止まっている。役者だっていつ
までも同じことをしていれば人間としての鮮度を失うのだ。同じ角
度でしかものを見れない役者はそれこそ肩が壊れている状態である。
余談だが、この前ドキュメントを見ていて能を舞うどえらい凄い役
者(もう老人である)が全く違うジャンルの人物にコラボレーショ
ンを持ちかけられ、演出を受けていた。自由にやってくれというオ
ーダーにその役者は考えに考えた結果「全く動かない」という演技
を選択した。それが最も言葉を強くするというその方なりの理念を
持ってのことだった。焦ったのは演出や制作サイドである。もっと
動いてほしい。もっと派手なパフォマーンスをと、公演間近になっ
て恐る恐る提案している。蜘蛛の糸をパーッと投げるアレをやって
欲しいと。なんちゅう失礼な提案だと僕はぶったまげた。その方は
じっと聞いていた。困っていた。派手?パフォーマンス?そもそも
能にその理屈はない。蜘蛛の糸を投げる必然がない。二歳のときか
ら能だけで生きて来た方である。しかしその方は考えて、蜘蛛の糸
を光の糸と解釈すればやれるかもしれない。そしてなんと、更に自
ら二人のダンサーを使い、その「派手」な「パフォーマンス」をや
ってのけた。「嫌じゃなかったですか?」という問いに「役者は柔
第十二話「年二回公演をやるっちゅうことはね」蓬莱竜太