分の肉体を通して体験してみる。体感を得る。そこで初めて感情と いうものが動かされる。動かすのではなく動かされる。それこそが 一番の醍醐味だと僕は思っている。役者とは表現者ではなく体感者 だ。逆にそれ以外に楽しいことってあるのだろうかとさえ思う。勿 論僕の一意見だが。想像力の取り分は味合わせてあげないと絶対に つまらないだろうなぁと思っているからまずは待つ。ところが、世 の中には自分で楽しみ方を見出せない役者もいる。待っていても、 向こうも待っている顔でいる。もしくは体感したいというより表現 したいという役者もいる。「役者のまねをする役者」普段誰にも似 てないのに何故演技になると似通った人になるのか。演技をしてい る役者のモノマネをしている役者の演技だからだ。「個性派」と呼 ばれる役者達は人より個性的だからそう呼ばれているわけではない と思う。単純にモノマネをしないのだ。人というのはそれぞれ充分 個性的なのである。無意識に演技のマネを楽しむ役者は割と多い。 そういう役者に限って演技論なんかを語る。上手い役者と呼ばれて いたりもする。僕から見ればモノマネが上手い役者だ。本人に自覚 がないなら尚困る。宝塚の芝居がしたくて宝塚の門を叩いているな らその人は正しい。自覚している。演技のモノマネをする役者もち ゃんと自覚してほしい。僕たちみたいに小さな劇場でやるような世 界にいると、それこそ色んなタイプの役者がごった煮状態だからや やこしい。ただ、やりたい世界と自分がやっていることの差異の分 析くらいは役者と名乗っている以上はしなさいよ、と。大体ねぇ―、 あ、なんか怒ってるな。プンプンしてる。いかんいかん。いや、話
第九話「転換期。最後は運だぜ」蓬莱竜太