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■ モダンスイマーズ最新作「悲しみよ、消えないでくれ」Special 応援コメント vol.2

好き嫌いは、この公演を観たあとで。

徳永 京子(演劇ジャーナリスト)




 きっかけは、劇団ONEOR8の作・演出家、田村孝裕さんから「舞芸(舞台芸術学院)の一期先輩の劇団なんですけど、俺、出演するんですよ。自分が役者をやるのは、多分これが最後だと思うんで」と誘われたことだった。どんな話なのか聞くこともせず、劇団名からも作品名からもピンと来るものはなく、何も考えずに中野ザ・ポケットに行った。2002年、モダンスイマーズの第4回公演で、のちに続編もつくられることになる『デンキ島』という作品だった。

 度肝を抜かれた。モダンスイマーズや蓬莱竜太の作風の特色を表すのに最も多く使われる形容詞は「骨太な」だが、この頃すでにそれは充分な強度を持っていた。当時は──今もその傾向は残っているが──、家族や友達という極めて小さな関係性の中だけで物語を完結させる若手劇団の傾向が問題視されていて、批判される側は「自分が本当にリアリティを感じられる範囲で話を書くのは、つくり手としてのひとつの誠意」という考え方で作品をつくっている状況だった。そんな中で『デンキ島』は、社会的にも家庭内でもどうしようもない父親と、近過ぎる距離感で人間を縛る地方の共同体の呪縛から何とか抜け出して、自分の人生を切り拓いて生きようとする女子高生の孤独な戦いという、リアリティの要素はほとんどないストーリーだった。けれど、それに臆する空気は微塵もなく、むしろ、ドラマの骨格をしっかりつくり、物語をきちんと届けることが演劇の役割だと確信しているようだった。「次から次へと、そんなに絵に描いたような不幸は……」という観客のツッコミを早々に封じる迫力と筋力が、もうそこにあったのだ。


デンキ島シリーズ
2002年上演作品 ▶︎ ARCHIVE
2005年上演作品 ▶︎ ARCHIVE
2011年上演作品 ▶︎ ARCHIVE



 通常、ドラマチックな展開やメッセージ性が強い作品は往々にして感動を押し付けてきて暑苦しい。だが蓬莱は、主人公が感情を外に出さない無口な少女にすることでそうした汗臭さを排し、骨太な物語に観客の想像力が入る余白を(主演の中島佳子の好演もあって)残したのだ。以降のモダンスイマーズの作品は、ほとんどが男性を主人公にするも、登場人物の中でも無口というセオリーを踏襲する。そしてまた、他の人物も決して饒舌ではない。リアルな生活者は豊富なボキャブラリーで喋らないことを、つまり、演劇のリアリティはストーリーにではなく、人物の不完全な言葉にあることを、蓬莱は早くから知っていたのだと思う。実はこれは、蓬莱の少し前の世代の劇作家の多くが平田オリザの現代口語演劇の影響を受けて、一斉にアンチ・ドラマチックな方向に流れていく中で、従来のせりふ劇を成立させた最後の劇作家のひとりと言っていい。

 その後、みるみるモダンスイマーズの知名度は上がり、蓬莱は劇作家、演出家として、数々のプロデュース公演で売れっ子になっていくのはご承知の通り。蓬莱だけでなく劇団員それぞれが外部で経験を積んでいる。

 一方、私もまた何とか仕事を続け、書くこととは別に、5~6年前から東京芸術劇場の企画に携わることになり、初年度の「芸劇eyes」と、芸劇がリニューアルオープンした際の「東京福袋」にモダンスイマーズの協力を仰いだ。特に「東京福袋」での『不毛ドライブ』は、男ふたり、ほとんどが自動車の中という動きを制限した設定ながら、最初から最後まで緊張が張りつめた見事な会話劇だった。ある職場の先輩と後輩である彼らが、ひとりの女性にとっての新旧の男であることがやがて判明し、さらにまた、生まれ育った町を軸にした過去と現在の立場がねじれて明らかになっていくさまは、蓬莱のストーリーテラーとしての才能が昇華していた。もはや観客が「次から次へと、そんな出来事は……」という違和感を感じる暇もなかったのは、男達の関係性は絶妙なタイミングで単線から二車線へ、そして三車線からまた単線へと、切り替わっていたのだ。ドラマチックでありながら、徹頭徹尾、それはストイックで、ボディブローのようなしびれを観た人に残した。たった1回の上演のためにそんな作品をつくってくれたモダンスイマーズに、もう1度登場してほしいというのは、芸劇の多くのスタッフから出た希望だ。



東京福袋
2012年上演作品 ▶︎ ARCHIVE



 私は蓬莱の外部での作品をすべて観ているわけではないが、通常のプロデュース公演のセオリーから想像するに、主人公が無口であることは、必ずしも歓迎されない。また、『不毛ドライブ』で見せたような大胆なストイックさも、劇団以外の公演では実現が難しいのが実情だ。だから言いたい。華やかだったりドラマチックだったりするプロデュース公演の仕事で、蓬莱およびモダンスイマーズを判断している人がいたら、それはやめて、ぜひ劇団の公演を観てほしい。判断はそのあとで下してほしい。もしかしたら、昔のテレビドラマかと思うようなチープな設定から始まるかもしれない。でも、わかりやすさはそのままに、わざとらしさもお説教臭さもなく、あるところから感受性の細かいヒダに入り込む説得力を感じると思う。このところ年に1本あるかないかの劇団公演が1月23日から始まる。見逃してほしくない。


◎ 徳永京子さん情報

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著書 | 我らに光を ---さいたまゴールド・シアター 蜷川幸雄と高齢者俳優41人の挑戦 ▶ 河出書房新社 | 演劇最強論 ▶ 飛鳥新社

「悲しみよ、消えないでくれ」


妻を失った男が、妻の実家に居候。
分かち合おう、悲しみを。
癒し合おう、悲しみを 。
乗り越え合おう、悲しみを。
しかし妻の妹は男を見て思っていた。

「この男は違う。この男は、悲しんでいない」

そこは雪深い山荘 ―。